ピックアップトラックは、とくにフォードが力を入れるようになった。
そして、ビッグスリー、日本メーカーによるライトトラック生産比率推移(北米)ピックアップだけでなく、クライスラーが得意とするミニバン、そして2社すべてが力を入れる大型SUVのシェアが上昇していく。
これら2車種はライトトラックと呼ばれるが、乗用車に比べてシェアが上昇し、2000年を過ぎる頃には、ライトトラックの方が生産台数でも登録数でも多くなった(17頁表の「商用車」は大型トラックを含んでいるが、その3分の2はライトトラックである)。
このライトトラックの急増は、まずピックアップの増産に始まった。
それは日本からの輸入ピックアップの減少と、乗用車輸出自主規制でサブコンパクトカーの値上がりにより6000〜7000ドル級の草がなくなった穴を埋める役割を果たした。
その先陣を切ったフォードは、21あった乗用車の工場の半分以上を、ピックアップやSUVの工場に転換している。
アメリカでは、ピックアップは架装業者がユーザーの好み米国金融バブルに踊った自動車産業改造できる。
だから値段が安く、自分の好みで改装できるピックアップはよく売れた。
また、クライスラーがトップメーカーであるミニバンも、80年代前半は2万台の販売台数だったものが、やがてファミリードライブ用に愛好されるようになり、100万台以上に成長する。
さらに、85年から2000年初頭までは、石油価格が1バレル20ドル台と安定していたから、ピックアップより上級の大型SUVは、4万ドル以上の販売価格でもよく売れるようになり、稼ぎ頭となった。
いうなれば、かつては大型乗用車がビッグスリーのドル箱だったのが、大型SUVにその主役がとって代わったことになる。
そしてこの傾向は、つい最近まで続いている。
これに対して日本の自動車メーカーは、愚直なまでに乗用車にこだわり、ライトトラックにはあまり力を入れていなかった。
例えばピックアップトラックは、トヨタと日産、それにいすゞ(後に撤退)ぐらいしか現地生産しておらず、プラットフォームを共用化できる、小型のミニバンや同じく小型のSUVで勝負しょうとしていただけだった。
この傾向については、当時よく、ライトトラツウという新しいセグメントの拡大を過小評価した日本メーカーの戦略的立ちおくれといわれたものである。
さらにビッグスリーの中でも、80年代後半のGMとフォードでは、ライトトラックに対する戦略が異なっていた。
フォードがライトトラックの比率を6割以上に上げたのに対し、GMはあくまでも乗用車にこだわり、中型乗用車シリーズのGM-10を成功させようとした。
フォードとGMとでは、戦略が対照的だった。
この時期、フォードはGMより10%以上シェアが少ないのに、利益額でGMを追い越して話題となった。
やがてGM-10の失敗が明白となり、1992年、GMのトップがジャック・スミスに交代すると、ライトトラック、とくに大型SUVにカを入れるようになった。
そのためにGMは、乗用車工場を大型SUV工場へと転換し、ライトトラックの製品開発を一元化するためにトラックセンターを作り、当時は子会社だった日本のいすゞから、百数十名のエンジニアを派遣してもらっていたことを筆者は覚えている。
巨額のローン収益で高株価を維持したGMこのGMの製品構成の大転換は、結果として、1990年代半ばから後半にかけての北米自動車市場の動向にフィットし、とくに大型SUVは面白いように売れた。
その結果GMは、折からのITバブルと信用バブルの好景気の恩恵を受け、史上空前の利益を上げることができたのである。
その利益をGMは、高額の株主配当に支出して株価を上げ、他方でその大きなキャッシュフローを、その販売金融子会社GMACに稼がせて巨額の金融収33米国金融バブルに踊った自動車産業益を上げるようになった。
同時に、折からの世界自動車業界の再編ムードに乗って、グローバルM&Aの資金源泉としたのである。
当時のGMは、金融収益という浮利を稼いだだけでなく、大型SUVをはじめとする台当たり利益の大きい車で儲け、例えば1台4万ドルから5万ドルもする大型SUVが稼ぎ頭となった。
SUVは、単価と利益マージンが大きいだけでなく、その台当たりのコスト構造でもGMに有利に働いた。
というのも大型SUVは、そのプラットフォームがフレームシャシーで作られたものが多く、乗用車のように、モデルチェンジごとに絶えずプラットフォームの設計変更をする必要がないからだ。
プラットフォームを、多くのモデルの間で、何世代かにわたって共用化できる。
さらに、搭載するエンジンについても同じことがいえる。
その結果、GMはじめアメリカメーカーの巨大マスプロ工場にはうってつけとなった。
長い期間にわたっての巨量生産に向いており、その結果、コスト構造的に有利に働くのだ。
ところで、ライトトラックで出遅れた日本メーカーの中には、大型SUVが市場拡大し、台当たりの利益が大きいのを見て、この市場に参入する者が現われた。
その筆頭がトヨタであり、タンドラをはじめとする複数のモデルを、インディアナ工場や日本国内では九州工場で作り出す。
日産もミシシッピ工場を大型SUV専用工場に転換し、トヨタに至って日米主要自動車メーカーのプラットフォーム当たり生産台数(北米1997年)(出所)AutornotiveNewsよりINGベアリング証券会社作成は、ブッシュ大統領(当時)の地元であるテキサスに専用工場を建設する計画を打ち出した(現在、順延と発表)。
以上、少々長くなったが、米国自動車市場の新車登録ベースで見た戦後の年間500万台から60年の700万台、70年の1000万台、90年の1400万台、そして21世紀に入ってからの1700万台への成長の軌跡と、その中での車種構成の変化を見てみた。
数字だけを捉えれば、右肩上がりで単純に伸びたようにも見えるが、実はその中味は複雑に変化していた。
つまり米国市場は、(1)国産大型車全盛期から70年代後半のパーソナルカー主流の小型車全盛期への移行、(2)85年以降に顕著となるライトト37米国金融バブルに踊った自動車産業ラックセグメントの拡大、(3)日本車の乗用車市場での優位と、これと対照的なライトトラックの大型SUVへの重点移行、さらにこの分野でのビッグスリーの優位と日本勢の90年代後半の参入-というように、市場セグメント的に見ても目まぐるしく変化してきたのだ。
それは、日米の自動車産業の攻防がくり返され、日本メーカーの参入と比較優位、そして日本の挑戦をもろに受けたビッグスリーの反攻の歴史の目まぐるしい変化の連続であった。
さらにいえば、それは一見、右肩上がりで直線的に拡大してきたかのように見えるが、米国自動車市場は、70年代の2度にわたる石油危機と80年代後半に起こったブラックマンデーの証券パニック、そして90年代末のITバブル反動不況のような何度かの不況を経験しつつ、一時的減産による生産調整と回復のサイクルをくり返して、今日に至ったのである。
ビッグスリーは世界同時不況の元凶か?ところで冒頭でも述べたように、今回のように自動車産業が世界同時不況の影響を受けるということは、歴史上経験していない。
今回の事態は、1929年の恐慌によくなぞらえられるが、あの当時は、例えば日本は、まだ乗用車をほとんど作っていなかった。

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